弁護士ブログ

2018.01.17更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。


死者6,434名,行方不明 3名,負傷者43,792名という甚大な被害をもたらした阪神・淡路大震災から,本日17日で23年となりました。被災地では追悼式典が行われ,亡くなった人たちに祈りがささげられました。雨が降りしきる兵庫・神戸市中央区の東遊園地では,地震が発生した午前5時46分に合わせて,黙とうがささげられました。当職も犠牲になられた方々を思い,祈りました。


当職は地震発生当日,虫の知らせといいますか,午前5時46分ころ,いきなり目が覚めたことを覚えています。何かただならぬことがあったと直感し,大震災の報に接しました。
23年も経過しますと記憶も風化しがちですが,ありとあらゆる自然災害の危難にさらされている日本国内にいる人は決して忘れてはならないと確信します。

そこで,今回は,阪神・淡路大震災が大災害となってしまった理由等を論じたいと思います。


●甚大な被害は,「自然災害」か「人災」か


阪神・淡路大震災は多くの建物が倒壊し,住宅が密集する長田区では大規模な火災が起きました。亡くなった方の8割は,倒壊した建物の下敷きになったことが原因だったそうです。そして,倒壊した建物の多くは,現在の耐震規定を満たしていない既存不適格建物でした。

燃え上がる黒煙。交通機能は麻痺し,消防車は火災現場まで辿り着けませんでした。ですが,もし,辿り着けたとしても,水が確保できず,満足な消火活動ができなかったといわれています。
火の勢いは増すばかりであり,被害は拡大しつづけました。火災による死者は,400人以上とも,500人以上ともいわれています。

では,一体なぜ,被害が拡大し続けたのでしょうか。


【理由①】 神戸市民が地震に無防備であったこと

阪神地区,中でも「神戸は地震がないところだ」という認識が住民の方々にありました。
神戸には過去,震度6を超える地震が起きたとの記録がなく,安全神話が広がっていたようです。まさに「油断大敵」。もっとも,この感覚は私の故郷・熊本県民にはよく理解できる話です。実際,熊本地震も地震に無防備であったことが被害の拡大をもたらしています。

神戸は戦争中米軍の空爆で被災したため,戦後すぐに建てられた,普請のしっかりしていない建物が多かったと聴きます。また,豪奢な建物といっても,地震に対して脆弱な「木舞」や「葺き土」という建築技法を採用したものが多かったそうです。
「神戸には地震がない」という妄信が,備えに目を向けさせなかったのかもしれません。


【理由②】 大災害の警告を各自治体が黙殺したこと

実は,阪神・淡路大震災前から,地震学者は地震を警告していたといいます。

1972年には,大阪市立大と京大のチームが,「神戸と地震」と題した報告書をまとめ,神戸に都市直下地震が起こるおそれを指摘していました。

自衛隊は,被害を正確に予測し,関西地区の各自治体に協議を提案していました。京阪神地域で震度5~6の地震を想定して,被害状況を推定する調査書を作成していたというのです。
その調査書によりますと,とくに神戸市などは木造家屋の密集している地域が多く,建物の倒壊と火災により兵庫県全体で被災者38万5000人と予測しています。阪神・淡路大震災の被災者数は31万6000人ですから,大災害は正確に予見されていたといえます。
自衛隊は,この調査書をすぐに関西地区の各自治体に直接持ち込み,協議を提案したのですが,黙殺されています。

神戸新聞は,一面トップで「神戸にも直下地震のおそれ」と警告していました。
神戸新聞は1974年,1980年に大きな紙面を割き,かなり力を入れて警告記事を書いていました。1974年の紙面には,危険区域の予想図も掲載されており,予想図は,実際に被災した地区とまったく同じであったといいます。

具体的な危険地区の予想図が発表されたにもかかわらず,予想図はやがて忘れ去られ,耐震化工事を行う者はほとんどいなかったといいます。しかし,結果,予想図のとおり,危険度が高い地域では多くの建物が全壊,もしくは半壊しました。鉄筋コンクリートのビルも,例外ではありませんでした。

ちなみに,東日本大震災においても,地震学界が巨大地震が発生すると警告し,福島原発の安全を審査する委員会でも869年の大震災の再来が考えられるという指摘があったにもかかわらず,政府も責任諸官庁も,福島県も東京電力もそれを無視していたという事実を付しておきます。

●黙殺されていた自衛隊の共同訓練の呼びかけ

多くの自治体は,毎年9月1日の防災の日に自衛隊との共同訓練を行い,日頃から密接な連携を築く努力をしています。

ところが兵庫県は,自衛隊が日頃から共同訓練や連絡調整を呼びかけても,「結構です」と拒否していました。当時の神戸市長(故・宮崎辰雄氏)は,「神戸は地震に強い街ですよ。地盤も花こう岩だし,いざとなったら山へも海へも逃げられる」とインタビューで語っていたそうです。「神戸が地震に強い街」という誤った認識のもと,都市計画を進めたことも大災害の遠因となっているのではないでしょうか。

●兵庫県や神戸市が警告を黙殺したのはなぜか?

「震度6を超える可能性もある」という警告は,「震度6に対応できる費用が無いから」という理由で捻じ曲げられたそうです。

また,水道管の耐震化工事よりも,神戸空港建設費に予算が使われました。
当時,水道管の大半は継ぎ手部分が弱く,震度6に対応できる耐震管は1970年代に登場したばかりでした。神戸市の場合は,3000キロメートルを超える総入れ替えが必要であり,3000億円超,後の神戸空港建設費に相当する額が必要でした。

大震災直後,極寒の中,水を求めて並ぶ人たちの姿を忘れることができません。断水は長期間き,被災者は,食器を洗うことも,トイレの水を流すこともできず,相当な苦労を強いられたはずです。警告を真摯に受け止めていれば防げた事態かもしれません。


【理由③】 当時の兵庫県知事が,自衛隊への出動要請を行わなかったこと

専門家は,神戸市長田区など火災による犠牲者は1日以上も経過していた例が多く,恐らく,直ちに駐屯地に待機していた自衛隊が重機を持ち込めば1000人は救助できただろうと推定しています。

当時の兵庫県知事(貝塚俊民氏)が自衛隊に出動要請したのは,地震から4時間以上経った午前10時でした。その2時間前の午前8時10分には,逆に自衛隊側からの要請督促があったにもかかわらず,当時の兵庫県知事は,なぜか出動要請を遅らせました。
災害時の自衛隊派遣要請は,被災地の市町村長の求めに応じて知事が行うと決められています。自衛隊は「なぜ出動要請をしないのか。早く出動要請をしてくれ」と,兵庫県知事に督促までしたそうです。
約2万6000人の中部方面隊は,地震発生から43分後の午前6時半には「部隊の全部を行動可能な態勢に置く」という第三種非常勤務態勢に移っていたといいますから,もっと早く出動要請がされていれば…。悔やむに悔やみきれません。


●日頃の心構えが大事

このように,つぶさに理由をみてみますと,甚大な被害は,単に「自然災害」とは言い切れず,むしろ「人災」の側面がクローズアップされてきます。甚大な被害は,決して「想定外」の話ではなかったのです。

中国の南北朝時代から隋にかけての僧侶であり中国天台宗の開祖・智顗(ちぎ,538~597年。天台大師と呼ばれました。)の摩訶止観(まかしかん)第八,それを注釈した中国・唐代の天台宗の僧侶・湛然(たんねん,711~782。妙楽大師と呼ばれました。)の止観輔行伝弘決(ぐけつ)第八には「必ず心の固きに仮(よ)りて神の守り則ち強し」とあります。
日頃の心構えが大事です。

投稿者: 弁護士濵門俊也

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