弁護士ブログ

2015.06.29更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

 

2015年6月26日,米国連邦最高裁判所は,「同性婚」を認める判断を示しました(ただし,内訳としては,9人の判事のうち5人がこの判断を支持し,4人が反対したとのことですから,かなりきわどい判断であったといえます。)。

これにより事実上,全米で同性婚が合法化されることになると報道されています。

 

米国では,同国全50州のうち,37州と首都ワシントンD.C.で同性婚が認められる一方,中西部オハイオ州などの4州では,同性婚を認めない判断を示していました。各州で同性婚に対する判断が分かれていたため,連邦最高裁判所が審理を進めていたところでした。

 

米国では1970年代以降,同性同士のカップルが州政府に同性婚を認めるよう求める裁判を起こす動きが目立つようになってきました(『21世紀の公民権運動』などともいわれているようです。)。しかし,キリスト教保守派を中心に反対は根強く,世論は二分されたままです(とくに,米国南部の州では,結構時間がかかるように思われます。)。

 

その歴史に一つの区切りをつける今回の裁判ですが,連邦最高裁判所の裁判所命令が「美しい」と話題となっているようです。Anthony Kennedy判事による最後の一文です。

早速,PDFファイルをダウンロードし,訳を付けてみました(うまくないかもしれませんが)。

 

【以下,引用始め】

(No union is more profound than marriage, for it embodies the highest ideals of love, fidelity, devotion, sacrifice, and family. In forming a marital union, two people become something greater than once they were. As some of the petitioners in these cases demonstrate, marriage embodies a love that may endure even past death.

 

It would misunderstand these men and women to say they disrespect the idea of marriage. Their plea is that they do respect it, respect it so deeply that they seek to find its fulfillment for themselves. Their hope is not to be condemned to live in loneliness, excluded from one of civilization's oldest institutions. They ask for equal dignity in the eyes of the law. The Constitution grants them that right. The judgment of the Court of Appeals for the Sixth Circuit is reversed. It is so ordered.)

【以上,引用終わり】

 

【当職の日本語訳】

婚姻ほど深い結びつきはない。なぜなら,婚姻とは,最も崇高な愛,忠誠,献身,犠牲,そして,家族の究極の理想を具現化したものだからである。婚姻関係を結ぶことによって,二人の個人は,それまでの自分をはるかに超える偉大な存在となる。本件の訴訟の当事者らは,たとえ死が二人を分かとうとも,なお途切れない愛情が,婚姻にはあるということを証明している。

 

 

ゆえに,本件の訴訟当事者である同性愛者の男女らが婚姻という概念に対し敬意を払っていないとするのは,大きな思い違いである。彼らの嘆願は,婚姻という概念に深い敬意を払っているからこそ行われているのであり,だからこそ,自分らにも婚姻が認められることを切に願っているのである。

彼らの望みは,孤独に生きろと咎められないことであり,婚姻という文明の最も伝統的な制度から排除されないことである。法の下において,平等なる尊厳を求めているのである。米国合衆国憲法は,彼らにもその権利を付与している。よって当法廷は,第6巡回区控訴裁の判断を破棄する。上記のとおり命令する。

 

 

たしかに「美しい」と唸りました。やはり,「人工国家」米国の真骨頂といえます。「人工国家」米国の精神は,合衆国憲法に体現されているのです。

しかし,実際は今日から,これから,今からが重要です。当然ながら抵抗する勢力の反攻も予想されます。「艱難汝を玉にす」との言葉がありますが,艱難を乗り越え,玉となれるかが問われます。「虹の彼方に」は何が見えるのでしょうか。

投稿者: 弁護士濵門俊也

2015.06.26更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

 

昨日(6月25日(木))の「アメトーーク!」(テレビ朝日・ABC系)は,「スーパーマリオ芸人」でした。芸人さんとして博多華丸・大吉の華丸さん,よゐこ有野さん,次長課長の井上さん,バカリズムさん,麒麟の川島さん,三四郎の小宮さん,ヒャダインさん,そしてゲームのプレイヤーとしてフジタさんが出演されておりました。

 

スタジオには「マリオを知らない」というゲストの蛭子能収さんと河北麻友子さんも登場されておりましたが,圧巻だったのは,やはり蛭子さんでした。全部もっていった感じでした。欲を申し上げれば,当職的には,有野さんのプレイを見たかったし(有野さんといえばフジテレビで放送されていた『ゲームセンターCX』を外せません。まさに神業を見る思いでした。他の出演者の方々とは次元が違う腕前であったためか,何となく遠慮されているような気がしました。),「マリオ無限増殖」(当職はこのように呼んでいましたが,「無限1up」等の呼び方もあるようです。)もやってほしかったところでした。さらに,「『メット』は『ウォーズマン』に似ている」も扱っていただきたかったです。

 

「スーパーマリオブラザーズ」(以下「スーパーマリオ」といいます。)は日本国内で681万本以上,全世界では4,024万本以上を売り上げた「世界一売れたゲーム」としてギネスブックに登録されているほどのゲームです。発売当時,当職は中学生でしたが,実際にやりこんだのは,高校生の時です。「スーパーマリオ」は,当職の故郷である熊本の田舎にはなかなか流通してきませんでしたし,家も決して裕福ではなく贅沢ができなかったからです。最初にプレイした時は,弟が友人から借りてきたソフトでした。

 

当職の妻は,家が厳しくファミコン等のテレビゲームをやったことがありませんでした。当職と結婚後,初めて「スーパーマリオ」をプレイし,その面白さにドはまりしました。やり始めのころは,目も当てられないほど下手くそでしたが,見る見るうちに上達していきました。当職が「マリオ無限増殖」(「昔取った杵柄」とはこのことです。手が技を覚えています。妻の甥っ子らに披露した際には,お父さんができない技を目の当たりにし,驚きを禁じ得ないといった感じでした。)をし手伝った結果,ついに「8-4」をクリアすることができました。

 

上記番組視聴後,やたらと「スーパーマリオ」をプレイしたくなりました。なかなかゲームをする時間はありませんが,たまには童心に帰ることも忘れたくないものです。

投稿者: 弁護士濵門俊也

2015.06.25更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

 

当職は,毎週水曜午後11時15分から絶賛放送中のテレビ朝日の番組「マツコ&有吉の怒り新党」を毎週楽しみに視聴しています。とくに「新3大○○調査会」に注目しています(ちなみに,その終了後日本テレビの「ナカイの窓」に移るのが当職のスタイルです。)。

昨日6月24日放送分は,「新3大・千代の富士の横綱相撲」(以下「新3大」といいます。)でした。

 

千代の富士関(現在の九重親方)といえば,大相撲で史上3位の優勝31回を誇り,“ウルフ”の愛称で親しまれた「昭和の大横綱」です。当職らが子どものころのスーパーヒーローでした(当時週刊少年ジャンプに連載されていたゆでたまご先生の漫画「キン肉マン」にも千代の富士関をモデルとした「ウルフマン」がいました。)。

九重親方といえば,去る5月31日,東京・両国国技館で歴代横綱10人目となる還暦土俵入り(ちなみに,九重親方のお誕生日は6月1日です。)を披露したことがニュースとなっていましたから,このタイミングでの放送であったと推察します。

 

上記新3大は,有識者としてやくみつるさんが選考した三つの取組[① 昭和60年(1985年)5月場所 対大乃国戦(当時は関脇でした。),② 平成元年(1989年)11月場所 対寺尾戦,③ 平成2年(1990年)11月場所 旭富士戦]を紹介していましたが,いずれの取組も千代の富士関らしい「横綱相撲」であり,はっきりと当時の記憶がよみがえりました(ただし,横綱旭富士関の愛称が「津軽ナマコ」であったことは,知りませんでした。)。

 

入幕間もないころの千代の富士関は,小兵ながらも荒ぶる魂を前面に押し出し,豪快な取り口をしていたのですが,そのことが災いしてか肩の脱臼に悩まされます。この逆境という「挑戦」に対し,千代の富士関はすさまじい筋肉トレーニングという「応戦」で克服しようとします。筋肉で肩関節を固めて,脱臼を防ごうという狙いです。

その結果生まれたのが,鋼のごとき肉体をまとった新生・千代の富士関でした。相撲の取り口も,無理やり,投げを打つスタイルを放棄し,速攻で寄り切るスタイルへ変えました。

その結果,安定して勝ち星を重ねられるようになり,昭和56年(1981年)ついに第58代横綱にまで昇りつめるのです。初入幕から11年が経過していました。

 

その後の活躍はみなさんご存じのとおりであり,その過程で上記新3大の取組もありました。相撲界初の国民栄誉賞受賞もありました(当時は海部俊樹首相でした。)。

 

平成2年(1990年)11月場所の旭富士戦から半年後の平成3年(1991年)5月場所。

18歳の新星,貴花田に黒星を喫した千代の富士関は,引退を決意します(ちなみに,千代の富士関に最後に土をつけたのは,貴闘力関です。決まり手は「とったり」でした。)。

千代の富士関は,引退会見の席上,最初は笑みを交えて「みなさま,長い間応援してくださり,ありがとうございました。月並みの引退ですが…」と語ったのですが,その後思わず言葉に詰まり,目を赤くして,涙をこらえながら発した「体力の限界!気力も無くなり,引退することになりました。」の言葉は今も脳裏にこびり付いています。

 

 

最近は平成生まれの方々ともお仕事をしたり,お話を聴いたりすることがありますが,上記新3大を視聴したことによって,当職らが生まれ育った「昭和」という時代をあらためて考えさせられました。

投稿者: 弁護士濵門俊也

2015.06.24更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

 

昨日(平成27年6月23日)は,沖縄「慰霊の日」でした。この「慰霊の日」は,昭和20年(1945年)6月23日,沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなみ,琉球政府[昭和27年(1952年)-昭和47年(1972年)]及び沖縄県が定めた記念日です。

 

当職は,沖縄返還(日本の法令用語としては「沖縄の復帰」といいます。)の日である5月15日(返還された日は,昭和47年(1972年)5月15日です。)と「慰霊の日」には,沖縄に思いを馳せるようにしています。

先ほど,裁判所で,大久保潤・篠原章共著『沖縄の不都合な真実』(新潮新書,2015年)を読み終えました。この本は,現在ベストセラーとなっており,発売以来注目していた本ですが,期待を裏切らない充実した内容の書籍でした。

詳細な内容は割愛しますが,ブックカバーにはつぎのような記述があります。

 

【以下,引用始め】

「こじれにこじれる沖縄の基地問題の本質はどこにあるのか。見据えるべきは『カネと利権』の構造である。巨額の振興予算を巡り,繰り返される日本政府と県の茶番劇。この構図が変わらない限り,問題は解決できない。公務員が君臨する階級社会,全国ワーストの暮らしに喘ぐ人々,異論を封じ込める言論空間等々,隠された現実を炙り出す。党派を問わず,沖縄問題の『解』を考えていく上で必読の書。」

【以上,引用終わり】

 

 

上記書籍は,元防衛事務次官であった守屋武昌さんが書かれた『「普天間」交渉秘録』(新潮文庫,2012年)を読んだ時以来の衝撃を受けました(この本は,「普天間問題」の深層を,当事者ならではの視点で描く第一級の資料と言っても過言ではありません。沖縄基地問題に関心のある方は必読の書です。)。

上記書籍のタイトルは「沖縄」となっておりますが,著者ら自身も述べておられるように,上記書籍は決して「沖縄批判」の書ではありません。既得権益を守る公務員を中心とした「沖縄の支配階級批判」,民族主義的な沖縄権力への批判をされているのです。

 

沖縄問題(基地問題に限りません。上記書籍にも複数の問題に言及されています。)は,そうやすやすと「解」が出せる問題ではありません。

しかし,思考を止めてはなりません。まずはしっかりと事実を認識し,多角的な視点から評価する姿勢が大事であると思います。当職は,引き続き沖縄問題の「解」を求めていきたいと思います。

投稿者: 弁護士濵門俊也

2015.06.23更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

 

「無期懲役ならば『15年くらい』で仮釈放となる」。テレビ番組で,ある弁護士が発した言葉がネットで話題になっています。

その弁護士(かなり著名な方です。)は,「刑務所で問題なく過ごせば,『15年くらい』で仮釈放となって,その後,問題がなければそのまま社会で生活してしまうこととなる。」と真面目な顔つきで話したとのことでした。

ところが,この「無期懲役ならば『15年くらい』で仮釈放となる」というコメントについて,「事実に反する」,「きっちり訂正してほしい」という批判の声があがっているようです。当職は,みなさんよくご存じなのだなと感心しました。

そこで,今回は,無期懲役の実態について,解説します。

 

 

1 「無期懲役なら『15年くらい』で仮釈放になる」というのは誤り

 

まず,刑事事件を取り扱っている弁護士ならば,先のようなコメントを被疑者・被告人に話すことはありません。実際の運用上も,「無期懲役なら『15年くらい』で仮釈放になる」というのは誤りと言ってよいと思います。昨年(平成26年)10月29日,つぎの報道がありました。

 

【以下引用始め】

 

「無期受刑者,進む『終身刑』化 仮釈放8年連続1桁」

 

「無期懲役刑が『終身刑』につながる傾向が進んでいる。昨年1年間に仮釈放された無期懲役の受刑者は8人で,8年連続で1桁となった。1990年代はほぼ2桁で推移していた。8人の刑務所の平均在所期間は31年2カ月。10年前から約8年,20年前からは13年延びた。一方で,刑務所内で死亡した無期懲役の受刑者は昨年14人で,5年連続で2桁となった。

日本に終身刑はない。無期懲役刑と終身刑の違いは仮釈放の有無だが,事実上の終身刑として刑務所で最期を迎える受刑者が増えている形だ。

法務省が28日に公表した無期懲役の受刑者に関するまとめで分かった。89年以降の統計でみると,仮釈放された受刑者の人数は91年に34人にのぼるなど,98年までほぼ2桁で推移。平均在所期間も20年前後だった。」(朝日新聞デジタル2014年10月29日)

 

【以上引用終わり】

 

法務省の統計によると,平成16年から平成25年までの10年間で,無期刑の受刑者のうち,新たに仮釈放された人は49名となっています。その平均受刑在所期間は30年を超えているのです。

 

そうすると,例外的に,「15年」で仮釈放になる人がいるのではないだろうかとの疑問をもたれる方もおられるように思いますが,少なくとも,平成16年から平成25年までの10年間で,在所期間20年以内に仮釈放が認められたのは,平成16年に70歳の受刑者が「19年11か月」で認められたのが唯一の事例のようです。

 

 

 

2 無期懲役の仮釈放の運用

 

仮釈放は,刑務所長から地方更生保護委員会への申出により,審理が開始されます。有期刑の上限が30年ですから,無期刑の場合,刑務所長が地方更生保護委員会に仮釈放の申出をする時期は,30年の経過が目安となるでしょう。

 

 

また,法務省の通達(平成21年)で,刑期30年が経過した後は,申出がなくとも,それから1年以内に,地方厚生保護委員会が独自に審理を開始することとなりました。

 

 

仮釈放を許すか否かの審理に当たっては,本人との面談や被害者等の意見聴取もなされますから,十分に更生していなかったり,犯情の悪い人は仮釈放が許されない可能性が高いです。

 

 

 

3 無期刑受刑者の実情

 

法務省の統計によると,平成16年から平成25年までの10年間で,服役中に死亡した人は146名で,仮釈放された人の3倍です。この10年間については,無期刑受刑者の多くは獄死している,といえます。

無期刑は多くの人が考えているよりも重い刑罰といえそうです。

投稿者: 弁護士濵門俊也

2015.06.22更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

 

いわゆる神戸連続児童殺傷事件の加害者である通称「少年A」による手記『絶歌』(太田出版)が平成27年6月10日に発売されて以降,出版の是非を問う声が,多数あがっているようです。

以前「サムの息子法」の導入の可否について記事を書いた際(平成27年6月18日付け),当職は「見ない。買わない」という不買活動という視点もあるように思いますと述べましたが,書籍の販売と購入の自粛を求める意向を示す書店等も少しずつ出てきました。

やや過激な主張として,上記書籍の出版差止めをすべきといったものもあります。出版差止めと聞きますと,当職は「北方ジャーナル事件」を思い出します。

そこで,今回は,「北方ジャーナル事件」について,触れておきます。

 

 

 

【事件概要】

 

昭和54年(1979年)施行の北海道知事選に立候補予定の者を批判攻撃する記事を掲載した雑誌が,発売前に名誉毀損を理由に差し止められた事件

 

 

 

【判示事項及び裁判要旨】

 

1 出版物の印刷,製本,販売,頒布等の仮処分による事前差止めと日本国憲法(以下「憲法」という。)21条2項前段にいう「検閲」

雑誌その他の出版物の印刷,製本,販売,頒布等の仮処分による事前差止めは,憲法21条2項前段にいう「検閲」に当たらない。しかし,事前差止めは,「事前抑制そのもの」であるから厳格かつ明確な要件が必要である。

 

 

 

2 名誉侵害と侵害行為の差止請求権

名誉侵害の被害者は,人格権としての名誉権に基づき,加害者に対して,現に行われている侵害行為を排除し,又は将来生ずべき侵害を予防するため,侵害行為の差止めを求めることができる。

 

 

 

3 公務員又は公職選挙の候補者に対する評価,批判等に関する出版物の印刷,製本,販売,頒布等の事前差止めの許否

人格権としての名誉権に基づく出版物の印刷,製本,販売,頒布等の事前差止めは,上記出版物が公務員又は公職選挙の候補者に対する評価,批判等に関するものである場合には,一般にそれらは公共の利害に関する事項であり,その表現は私人の名誉権に優先する社会的価値を含むので,原則として許されない。

ただし,①表現内容が真実でないか又は専ら公益を図る目的のものでないことが明白であって,かつ,②被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があるときに限り,例外的に許される。

 

 

 

4 公共の利害に関する事項についての表現行為の事前差止めを仮処分によって命ずる場合と口頭弁論又は債務者審尋

公共の利害に関する事項についての表現行為の事前差止めを仮処分によって命ずる場合には,③原則として口頭弁論又は債務者の審尋を行い,表現内容の真実性等の主張立証の機会を与えなければならない。

ただし,債権者(名誉権を侵害された立候補予定者)の提出した資料によって,①表現内容が真実でないか又は専ら公益を図る目的のものでないことが明白であり,かつ,②債権者(出版社)が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があると認められるときは,口頭弁論又は債務者の審尋を経なくても憲法第21条の趣旨に反するものとはいえない。

投稿者: 弁護士濵門俊也

2015.06.22更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

 

仕事中のケガや病気で3年を超える療養を続ける労働者について,使用者が一定の補償金を支払えば解雇できる解雇制限の例外をめぐる訴訟の判決において,最高裁第2小法廷(鬼丸かおる裁判長)は平成27年6月8日,「国から労災保険の支給を受けている労働者も対象となる」という初めての判断を示しました。

今回の訴訟は,国から労災保険の支給を受けて休業中だった男性が,勤めていた私立大学から解雇されたのは不当であると訴えたものです。上記最高裁判決は,今後の労働実務にどのような影響を及ぼすのでしょうか。

 

 

 

労働基準法(以下「労基法」といいます。)第19条第1項本文には,「使用者は,労働者が業務上負傷し,又は疾病にかかり療養のために休業する期間及びその後30日間・・・は,解雇してはならない」と規定されています。

 

ただし,使用者が,第81条の規定の規定によって打切補償を支払う場合は,この限りではありません(労基法第19条第1項ただし書)。ここに打切補償とは,労基法第75条の規定によって補償を受けている労働者が,療養開始後3年を経過しても負傷又は疾病がなおらない場合において,使用者が,平均賃金の1200日分の補償を支払えば,その後は同法に規定による補償を行わなくてよいというものです。

 

上記「労基法第75条の規定によって補償を受けている労働者」には,労災保険法に基づいて療養補償給付及び休業補償給付を受けている労働者は含まれないと解されていました。したがって,このような労働者については「打切補償」を支払っても解雇することはできないと解されていました(東京高判平成25年7月10日労判1076号93頁)。

 

 

 

しかし,今回の最高裁の判決によって,「労基法第75条の規定によって補償を受けている労働者」に,労災保険法に基づいて療養補償給付及び休業補償給付を受けている労働者が含まれると解されてしまいますと,今後,使用者が「打切補償」を行って,労働者を解雇できる事案が増えるおそれがあります。

 

その意味においては,上記最高裁判決は,労働者にとっては不利となるおそれのある判決であったといえそうです。

 

 

 

ただし,「打切補償」によって制限が解かれるのは,あくまで,解雇禁止期間制限の例外にすぎません。当然ながら,解雇権濫用(労働契約法16条)の適用は受けます。

 

たとえば,使用者が,労働者の復職する可能性などを無視して解雇するなど,使用者が解雇権の濫用をしたと評価できる場合は,その解雇は無効とされます。

 

したがって,「打切補償」があったからといって,安易に解雇を認めるのではなくて,復職可能性がないのかどうかなど,きちんと判断されることが求められます。

 

今回の最高裁判決でも,解雇権の濫用があったのか否かなどついて,さらに審理が必要であるとして,高裁に差し戻されています。

投稿者: 弁護士濵門俊也

2015.06.18更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

 

いわゆる神戸連続児童殺傷事件の加害者である通称「少年A」が,現在の心境や,当時の精神状態などについてつづった手記『絶歌』(太田出版)が発売され,世間を賑わしています。とくに,問題視されているのが,犯罪者が自らの罪を商業的に利用している点であり,数千万円にもなる可能性があるといわれている印税の行方です。

 

現在の日本の法律では,多額の印税収入を通称「少年A」が得ることとなります。版元である太田出版は印税について,「通常の出版物なので今後,著者である彼(注:通称「少年A」のこと)に印税は支払う。それをどうするかは本人次第で,当社が口を出すことではない。だが,遺族の方に経済的にも一生責任を負っていきたいと本人が思っていることは確かだ」

とコメントしています。

 

この『絶歌』出版問題で注目されている法律があります。それは「サムの息子法」と呼ばれるニューヨーク州の法律です。

そこで,今回は,「サムの息子法」と我が国における導入の可否について,解説してみます。

 

 

1 「サムの息子法」の内容

 

この法の目的は,「犯罪活動の結果として直接取得した金銭を押収すること」です。すなわち,①犯罪者が自らの事件を商業的に利用して得た金銭を奪うことにより,犯罪の収益性を除去するため,また,②犯罪者が自分の罪の悪評を活用できないようにするために作られています。多くの場合,遺族など被害者側の申立てにより,書籍出版や映画化などから得た収入は犯罪被害者への補償に充てられます。

 

この法が制定された背景は,1976年,大手出版社がニューヨークで起きた連続殺人事件の犯人に手記を書かせて売ろうとしたことがきっかけでした。

その後,1984年に連邦レベルでも犯罪被害者法が制定され,出版による収益だけでなく,没収された保釈金や犯人の差押財産も基金として遺族や被害者のために分配される仕組みができました。

 

上記目的で制定された「サムの息子法」ですが,批判もあります。①法律が表現行為を規制することによって,犯罪加害者が自らの犯罪について書き残す経済的動機を奪ってしまい,事件の真相が分からなくなり,結果として公共の利益が損なわれる,②出版の自由を定めた米国合衆国憲法に抵触する,といったものです。実際,米国連邦最高裁は1991年,ニューヨーク州の法律を「適用される範囲が広すぎる」などとして違憲判決を下しています。

その結果,ニューヨーク州やカリフォルニア州では米国合衆国憲法に抵触しない形での法改正を余儀なくされたという経緯もあります。

 

 

2 我が国においても「サムの息子法」を導入できるか?

 

このような「サムの息子法」ですが,我が国でも導入することは憲法上可能でしょうか。

導入するとして,最大の難関となるのが,日本国憲法第21条が保障する「出版」,「表現の自由」との関係です。

 

この点,憲法が保障する表現の自由により,たとえ犯罪加害者による事件に関する出版であっても,原則として,公権力は制限することはできません。

もっとも,他人のプライバシー侵害や名誉毀損を伴うものは,例外的に差止めが認められるべき場合があります。よって,いかなる場合も表現行為を絶対的に抑制できないわけではありません。

思うに,犯罪加害者による出版であることだけを理由として,事件関係の出版を一律に禁止する法律は,規制範囲が広範になりすぎるため,憲法違反のおそれがあります。

しかし,「サムの息子法」と同様,出版行為自体は認めたうえで,印税など犯罪加害者が出版により得る収益を没収するという内容であれば,出版・表現の自由を侵害しないという余地はあると思います。

 

さらに,憲法上は,犯罪加害者の収益を没収することによる財産権(日本国憲法第29条第1項)侵害についても問題となります。

たとえば,出版行為自体は認めたとしても,収益没収を「全額」とすれば,違憲の疑いが強いと思います。ただ,割合次第(かなり高度な政策判断を余儀なくされるでしょう。)では,違憲の疑いを回避することは一般論としては可能であると思います。

 

犯罪被害者保護の重要性がようやく認知されてきている昨今,今後議論を深めていく価値はあると思います。

ただ,かりに日本版「サムの息子法」を制定したとして,一般化できるほどのケースが今後現れるかについては,かなり疑問があります。

「見ない。買わない」という不買活動という視点もあるように思います(私見)。

投稿者: 弁護士濵門俊也

2015.06.17更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

田中長官補足意見はいよいよクライマックスです。

 

「要するに我々は,憲法の平和主義を,単なる一国家だけの観点からでなく,それを超える立場すなわち世界法的次元に立って,民主的な平和愛好諸国の法的確信に合致するように解釈しなければならない。自国の防衛を全然考慮しない態度はもちろん,これだけを考えて他の国々の防衛に熱意と関心とをもたない態度も,憲法前文にいわゆる『自国のことのみに専念』する国家的利己主義であって,真の平和主義に忠実なものとはいえない。」

【コメント】

この田中長官の意見と安倍晋三首相が推し進める「積極的平和主義」とは整合するのでしょうか。

 

 

「我々は『国際平和を誠実に希求』するが,その平和は『正義と秩序を基調』とするものでなければならぬこと憲法9条が冒頭に宣明するごとくである。平和は正義と秩序の実現すなわち『法の支配』と不可分である。真の自衛のための努力は正義の要請であるとともに,国際平和に対する義務として各国民に課せられているのである。」

【以上,引用終わり】

【コメント】

「立憲主義」は,人権尊重や権力分立を備えた法によって国家の権力濫用から国民を守ろうとする思想ですが,この前提問題として「法の支配」が指摘されます。「人の支配」ではなく,「法の支配」でなければならないという規範が成立しなければ,立憲主義の議論をしても無意味であるからです。「日本では立憲主義以前に法の支配すら危うい」との警鐘を鳴らす書籍に,大澤真幸・木村草太共著『憲法の条件 戦後70年から考える』(NHK出版新書・2015年)があります。大澤真幸さんは日本を代表する気鋭の社会学者ですが,著作を拝読しますと,頭がよく動きます。脳をゴシゴシ洗っている感じです。読後は,少し頭がよくなった気がします(個人の感想です。)。

 

 

 

さて,いかがでしたでしょうか。読者の方々の参考となれば幸いです。

投稿者: 弁護士濵門俊也

2015.06.17更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

田中長官補足意見はまだ続きます。

 

「我々は,その解釈について争いが存する憲法9条2項をふくめて,同条全体を,一方前文に宣明されたところの,恒久平和と国際協調の理念からして,他方国際社会の現状ならびに将来の動向を洞察して解釈しなければならない。字句に拘泥しないところの,すなわち立法者が当初持っていた心理的意思でなく,その合理的意思にもとづくところの目的論的解釈方法は,あらゆる法の解釈に共通な原理として一般的に認められているところである。そしてこのことはとくに憲法の解釈に関して強調されなければならない。」

【コメント】

「目的論的解釈」は,とくに憲法の解釈に関して強調されるべきとの田中長官の強い意思を感じます。ここに「目的論的解釈」といいますのは,条文の現在においてもつべき趣旨,果たすべき目的を考察して,それにしたがって条文を解釈すべきという解釈態度です。

立法者意思を知りたい方は,日本国憲法制定過程を詳細に分析し,その真相に迫った力作,古関彰一著『平和憲法の深層』(ちくま新書・2015年)をお勧めします。著者自身が「はじめに」において,「いままでの書物の『常識』が本書では『非常識』となっているため,驚かれる読者も多いと思われる」と書かれているとおり,驚きの連続でした。東京帝国大学の教授陣(うち,とくに宮沢俊義先生)の言動は,衝撃を受けました。

 

 

「憲法9条の平和主義の精神は,憲法前文の理念と相まって不動である。それは侵略戦争と国際紛争解決のための武力行使を永久に放棄する。

しかしこれによってわが国が平和と安全のための国際協同体に対する義務を当然免除されたものと誤解してはならない。我々として,憲法前文に反省的に述べられているところの,自国本位の立場を去って普遍的な政治道徳に従う立場をとらないかぎり,すなわち国際的次元に立脚して考えないかぎり,憲法9条を矛盾なく正しく解釈することはできないのである。」

【コメント】

日本国憲法第9条を矛盾なく正しく解釈する方法について言及されています。

 

 

「かような観点に立てば,国家の保有する自衛に必要な力は,その形式的な法的ステータスは格別として,実質的には,自国の防衛とともに,諸国家を包容する国際協同体内の平和と安全の維持の手段たる性格を獲得するにいたる。現在の過渡期において,なお侵略の脅威が全然解消したと認めず,国際協同体内の平和と安全の維持について協同体自体の力のみに依存できないと認める見解があるにしても,これを全然否定することはできない。そうとすれば従来の『力の均衡』を全面的に清算することは現状の下ではできない。

しかし将来においてもし平和の確実性が増大するならば,それに従って,力の均衡の必要は漸減し,軍備縮少が漸進的に実現されて行くであろう。

しかるときに現在の過渡期において平和を愛好する各国が自衛のために保有しまた利用する力は,国際的性格のものに徐々に変質してくるのである。かような性格をもっている力は,憲法9条2項の禁止しているところの戦力とその性質を同じうするものではない。」

【コメント】

「将来においてもし平和の確実性が増大するならば,それに従って,力の均衡の必要は漸減し,軍備縮少が漸進的に実現されて行くであろう。」-希望を感じさせる言葉です。アレクサンドル・デュマ作の『モンテ・クリスト伯』の最後のセリフ「待て,しかして希望せよ。」を思い出しました。

投稿者: 弁護士濵門俊也

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