弁護士ブログ

2016.08.29更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

 

先日,弁護士ドットコムニュースに当職が担当した記事が掲載されました。

「PCデポ」で問題になった高齢者の契約問題…もし親が認知症の場合、どうすれば?

 

【以下,記事引用始め】

 

 

パソコンなどのデジタル機器に不慣れな人をサポートする「PC DEPOT」(ピーシーデポ)のサービスについて、ツイッターの投稿から批判に火がついた。

 

きっかけとなったそのツイートには、父親(高齢者)が不必要なサポート契約を結ばされていたこと、高額な解約料を請求されたことなどが記されている。投稿者はさらに、弁護士ドットコムニュースの取材に対して「父親は認知症だ」と述べた。

 

高齢化が進むなかで、今回のような契約時のトラブルは増えていく可能性がある。仮に、認知症の親が勝手に高額な契約を結んだら、どのように対応をすればいいのだろうか。濵門俊也弁護士に聞いた。

 

 

●契約「無効」を主張できる

 


「まず、認知症の高齢者が不利な契約を締結した場合、その契約当時、認知症の高齢者には、法律上の判断ができる意思能力はなかったとして、契約は無効であるという『意思能力欠如の理論』が主張できます。

 

また、認知症の高齢者にとって、契約の内容が極めて不利であるため、高齢者にその契約の履行を求めることは公序良俗に反し、契約は無効であるという『公序良俗違反』の理論などを用いて、認知症の高齢者を不利な契約から解放する方法が、裁判例でも認められています。

 

とくに、『PC DEPOT』のサービスについては、携帯電話契約とくらべても、解約料があまりに高いことから、解約料については『平均的な損害の額を超える』部分が無効となる可能性があります(消費者契約法第9条第1項)。

 

さらに、契約期間が長期間におよんでおり、解約料無しに解約できる期間がほとんどないということであれば、消費者の権利を著しく制限しているため、解約料が無効となる可能性があります(同法10条)」

 

 

●成年後見制度を利用する

 


認知症の高齢者が、事前にこうした契約時のトラブルに備える方法はあるのだろうか。

 

「日常的に判断能力が不十分である認知症の高齢者だとすれば、一般的な契約を取り消すことによって、無効とすることができる制度を利用して申し立てる方法があります。

 

これを成年後見制度といいます。たとえば、認知症の高齢者が詐欺にあってしまったとしても、成年後見制度を利用することによって、契約を取り消したうえで、無効とすることができます。

 

成年後見制度では、認知症の高齢者の判断能力に応じて、補助、保佐、後見などの制度が利用できます。

 

一人暮らしで身寄りのない認知症の方であっても、申立てをおこなうことができ、親族がいない方でも弁護士や司法書士など、裁判所から最もふさわしいと判断された成年後見人が付いてくれるので、安心できます」

 

 

●「高齢者を独りにしないセーフティーネットが必要だ」

 


高齢化がすすむ日本では、契約時にトラブルにあったり、あるいは詐欺にあうというケースも起きるおそれがある。

 

「高齢者はお金を持っており、簡単にだませると思われているため、悪いことを考える輩からすれば狙われやすくなっています。

 

また、一人暮らしの高齢者は孤独であることが多く、(悪いことを企む)訪問者に対し、つい話をしてしまい、いつの間にかだまされているということも見受けられます。

 

とくに、認知症の高齢者は、判断力が低下してしまいますので、良いか悪いかなど判断できていない場合が多く、誘導されるままお金を支払っていると思われます。手口も、脅したあと優しく接し安心させるなど、高齢者の心理を巧みに操っている場合も多く、認知症の方では、対処が難しいものとなっています。

 

無縁社会などといわれる現代ですが、やはり周囲の方への声掛けや、様子伺いなどで、独りにしないセーフティーネットが必要であると考えます」

 

濵門弁護士はこのように述べていた。

 

(弁護士ドットコムニュース)

 

【以上,記事引用終わり】

 

 

投稿者: 弁護士濵門俊也

2016.08.22更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。


 平和の祭典・リオデジャネイロオリンピックは8月21日夜(日本時間22日午前),マラカナン競技場で閉会式を迎えました。
 約10分間にわたる,次期開催都市の東京をPRする映像やパフォーマンスでは,大トリに安倍晋三首相がサプライズで登場しました。安倍首相は,「クールジャパン」の代表として世界でも人気のキャラクター・スーパーマリオに扮して登場しました。マリオに「変身」した安倍首相が,国会から車やドリルを使って,日本から見て地球の裏側にあるリオに向かおうとする様子が,映像化されました(ネット上では「どうしてポケモンではなかったのか」などと話題となっていますが,リオ(Rio)だけにマリオ(MARIO)は外せなかったのでしょう。)。


 平和の祭典の閉会式の日が,「対馬丸事件」の日であることは,単なる偶然ではないと思います。いまから72年前の1944年(昭和19年)8月22日,沖縄からの疎開学童約800人を乗せた日本の貨物船「対馬丸」が,長崎に向かう途中に,米国の潜水艦「ボーフィン号」によって撃沈されました。
 当時,対馬丸には「学童を含め約1800人が乗っていた」とされていますが,そのうち生存者はわずか280人程度,うち学童疎開者は60人ほどでした。
 乗船していた児童のほとんどが命を落とした「対馬丸事件」は,いまなお語り継がれている「戦争の悲劇」のひとつです。『対馬丸―さようなら沖縄』というアニメーション作品もありますので,興味をもたれた方は探してみてください。
 命をつないだ人の中には,米国の潜水艦の魚雷が命中した「対馬丸」から海に飛び込んだ昭和19年8月22日を「もう一つの誕生日」と心に刻む方もおられます。命をつなぐことができたことに対する感謝の念でしょう。その一方で,犠牲者の親きょうだいと顔を合わせる慰霊祭への参列を頑として避けてきた方もおられます。「助かった後ろめたさは,一生消えないんだ」という苦悶が続くのでしょう。


 人間は「生きている」と思いがちですが,傲慢かもしれません。当職は「生かされている」のではないかと考えています。人間は生老病死から逃れることはできませんが,「価値ある人生」を送るべく精進したいものです。

投稿者: 弁護士濵門俊也

2016.08.17更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。


 今日は暑いですね。残暑厳しいです。「このまま暑くなったら12月はどうなるやろか」などと古典的な漫才のフレーズでも言いたくなります(…まったくつまらないですね。その意味では「寒い」です。)。さて気を取り直していきましょう。先日,つぎのような内容の公正証書遺言についてご相談を受けました。

① 下記不動産を甲に遺贈する。
  ◯◯区◯◯町・・・の土地
  ◯◯区◯◯町・・・の建物

② 上記①の不動産を除く一切の財産を乙に遺贈する。

 ①の遺贈が特定遺贈であることは問題ないと思いますが,②の遺贈は包括遺贈なのか特定遺贈なのか少し悩みますよね。
そこで,今回はこれに類似した問題を扱った事例の裁判例(東京地判平成10年6月26日判時1668号49頁)がありますので,その解説とともに説明してみます。


●問題提起


 まず,遺贈には「包括遺贈」と「特別遺贈」があります。
 「包括遺贈」とは,目的物を特定せずに,遺産の全部又はその一定の割合を指定して行う遺贈のことであり,例えば「遺産の全部」とか,「遺産の2分の1」というように遺産の割合をもって行う遺贈のことです。
 他方,「特定遺贈」とは,「下記不動産」とか「下記預貯金」というように目的物を特定して行う遺贈のことをいいます。

 包括遺贈を受けた人(=包括受遺者)は,相続人と同一の権利義務を有する(民法第990条)。とされているため,その遺贈が「包括遺贈」なのか「特定遺贈」なのかによって,債務を承継するか否か,放棄する場合の方式,登記の方法(乙が唯一の相続人だった場合)などの取扱いが異なります。


 前記公正証書遺言②の記載は「◯◯を除く」という書き方で財産を特定しているようでもありますが,通常の特定遺贈のように明確に財産を特定している訳ではないので,「特定遺贈」というには少し違和感を感じます。
 また,遺産の全部若しくはその一定の割合をしている訳でもないので,「包括遺贈」と言い切ってしまっていいのか?という疑問も生じます。


●東京地判平成10年6月26日(判時1668号49頁)の説明


① 事案

  被相続人Aは,著名人物(昭和9年に獄死しています。)の妻であったところ,Aは,遺産のうち不動産の一部(A所有の土地のうち特定部分)をBに遺贈し,その余の財産すべてを(当時は)法人格なき社団であったX(大正11年に創立された政党です。)に遺贈したという事案です。Xが特定受遺者なのか包括受遺者なのかが争点となりました。


② 判旨

  東京地裁は,「『特定財産を除く相続財産(全部)』という形で範囲を示された財産の遺贈であっても,それが積極,消極財産を包括して承継させる趣旨のものであるときは,相続分に対応すべき割合が明示されていないとしても,包括遺贈に該当するものと解するのが相当である」
と判示したうえで,本件事案においては,AからXへの遺贈について,Bが取得する土地以外の相続財産全部を包括してXに遺贈する趣旨でなされたものとして,Xについて包括受遺者と認めました。


③ 本判決の意義

  包括遺贈は,通常は,①全財産(積極・消極財産)を包括して遺贈する「全部包括遺贈」か,②全財産(積極・消極財産)の割合的な一部を包括して遺贈する「割合的包括遺贈」かのいずれかであるのですが,そのほかに③本件事案のように特定財産を除いた財産につき積極財産・消極財産を包括して遺贈するという「特定遺贈と包括遺贈の併存型」があることを判示した点に本判決の重要な意義があるといえます。
  判例時報第1668号49頁の解説では,「相続財産の一部を特定遺贈又は分割方法の指定により特定人に取得させることとしたうえ,それらの財産を除く相続財産につき,積極財産のみならず消極財産を包括して遺贈の対象とすることも可能であり,このような遺言は『財産の一部』についての遺贈であるが,当該財産の範囲で,受遺者は被相続人の権利,義務を包括的に承継することになるから,『特定財産を除く相続財産全部』という形で範囲を示された財産の遺贈であっても,それが積極・消極財産を包括して承継させる趣旨のものであるときは,相続分に対応すべき割合が明示されていないとしても,包括遺贈に該当すると解するのが相当である。」と説明しています。


●登記原因


 最後に,登記手続上の説明を補足しておきましょう。登記手続上は,遺言書に「相続させる。」と書いてあれば「相続」として登記し,「遺贈する。」と書いてあれば「遺贈」として登記するのが原則です。ただし,「相続人全員に対して全財産を遺贈する。」と書かれていた場合は,遺言書に「遺贈する。」と記載してあったとしても「遺贈」ではなく「相続」で登記することとなっています。

 今回の相談における乙さんは被相続人の唯一の相続人だったため,これが「包括遺贈」であるとしますと,登記原因を「相続」で登記することとなります。そこで,これを法務局がどう判断するか管轄の法務局に相談してみたところ,「包括遺贈」として手続を行って構わないとの回答を得られました。

 

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投稿者: 弁護士濵門俊也

2016.08.16更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

 

 8月13日(迎え盆)から本日8月16日(送り盆)までの4日間のお盆は「月遅れ」のお盆です。東京など関東圏の一部では7月15日を中心に行われる場合もあるようですが,当職の故郷である熊本をはじめ,夏休みにあわせた月遅れお盆が一般化していると思います。今年は4月14日に熊本地震が発生していますから,被災して亡くなられた方々も含めて追善回向をさせていただきました。
 お盆は日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事ですが,当職が司法試験受験をしていた際,大変お世話になったクリスチャンの師匠がいました。その師匠の名は,「石丸俊彦先生」(以下「石丸先生」といいます。)です。
 今回は,石丸先生を偲んでブログを書きたいと思います。


●石丸先生と当職との出会い


 石丸先生(1924年―2007年4月1日)は,裁判官であり,日本の法学者でもあります。専門は刑事法です(石丸先生の著作は,現在も刑事実務に多大な影響を与えています。石丸先生の著作『刑事訴訟法』は家宝といえましょう。)。元東京高裁総括判事も歴任され,退官後は,元早稲田大学法学部客員教授を務められました。

 石丸先生との出会いは,早稲田大学法職課程の『刑法総合』でした。『刑法総合』は,B4の紙にびっしりと書かれた事実から複数の共犯者の罪責を問う問題が出題されます。制限時間内に基本書等のいかなるものも参照してよい(もっとも,参照している暇はありません。)こととされ,答案用紙も制限がない(当職は平均して6~7頁書いていました。)異色の答練でした。「28点」以上が合格点であり,成績優秀者については,名前とともに出身大学を紹介していただける栄誉が与えられました。
 当職が平成10年に受験した論文式試験刑法第1問で失敗した際,当職の友人(東海地方で弁護士をしています。)に紹介されて石丸先生の門を叩きました。短答式試験である「択一」(たくいつ)のことを「たくいち」と言ったり,「Suika」(スイカ)のことを「シューカ」と言うなど,お茶目な部分もありましたが,『刑法総合』に臨まれる真剣な姿勢には唸りました。当職も全身全霊をかけて問題と格闘したことを覚えています(おかげで,名前と顔を覚えていただきました。また,同じ九州人であることも事あるごとに触れていただきました。)。
 その後,何とか平成16年に司法試験に合格させていただいた(ネットの世界では『ヴェテ』と呼ばれる人種です。)のですが,ご報告した際は,大変喜んでいただきました。師匠にお応えできることは弟子の誉です。


●法律家として,クリスチャンとして


 昨日は終戦(敗戦)の日でしたが,石丸先生がもの心ついたころ,すでに我が国は戦争への道をひた走っていました。石丸先生もまた,この戦争が「聖戦」であると固く信じる少年でした。
 終戦(敗戦)後,石丸先生は裁判官となられます。1970年代後半には,東京地方裁判所裁判長として,連合赤軍事件の審理に深く関わりました。とくに連合赤軍のひとりへの判決は,「石丸判決」として,その後の関連裁判で繰り返し参照されることになりました。
 この判決において,石丸先生は検察側の死刑求刑を退け無期懲役を言い渡し,さらに判決後,この被告人男性に異例の訓戒の言葉をかけたのです。
 「裁判所は被告人を法の名において生命を奪うようなことはしない。被告人自らその生命を絶つことも,神の与えた生命であるから許さない。被告人は生き続けて,その全存在をかけて罪をつぐなってほしい」。石丸先生の信仰に裏打ちされた言葉が,被告人男性とその関係者に深い印象を残したことは言うまでもないでしょう。


●質の良い法曹へ


 最後にかつて石丸先生が寄稿された記事を引用して終わりたいと思います。この記事を読むたびに勇気が湧きます。
【以下,記事引用始め】

 私は早大の法職過程教室で教えているが,ここにも人生の転換組が実に多い。皆働きながら,真摯に勉強を続けている。この人達が最終合格して修習生になると,雌伏から雄飛になって,法曹としての人生の豊かさがにじみ出て輝きを増してくる。実務につくと味のある,そして社会通念を的確に把握できる法曹に成長する。昨年私の刑法総合のクラスから60名が合格したが,この中にも人生転換組が多くいた。実務法曹は片々たる法律知識よりは,社会における他事多様な事実とそれに対する的確な評価と判断を必須の力とする。人生の転換・挫折を味わった人は,それだけの人生の暗さを味わってはい上ってきているから,人の弱さ,暗さが理解できる。私は法曹の資格としては,エリートで輝ける尾根づたいで合格して若くして法曹になるよりは,一度社会の泥沼に飛び込んで人生の荒波にもまれてそこから抜け出した人達のほうが社会の役に立つのではないかと思っている。このような人は,改めて金と時間を費やしてロースクールに入る手間ひまはとれない。
 私がいいたいのは,このような人生転換組みで中年の受験生に,ロースクールに行かなくても,司法試験の受験資格を与えつづけて欲しいということである。ロースクールが「質の良い法曹」の養成を主眼とするなら,その脇道でその過程に匹敵する勉強をして「質の良い法曹」になり得る人生転換組の合格への道を奪わないで,与え続けて欲しいものである。

【以上,記事引用終わり】

投稿者: 弁護士濵門俊也

2016.08.15更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

 

 本日(平成28年8月15日)は,終戦(敗戦)記念日『日本のいちばん長い日』です(かつて,ブログで「『日本のいちばん長い日』はいつか?!」という記事を書きました。実は8月15日が終戦(敗戦)の日ではないという内容となっております。興味のある方はお読みください。)。

 さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにすべき1日となりました。
 
 終戦(敗戦)以来すでに71年を迎え,私たちのご先祖様らのたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられました。リオデジャネイロの天地では,「平和の祭典」オリンピックが開催中です。日本選手団もこれまでの限界を超える成績を上げており,本当に頼もしいです。2020年の東京オリンピック・パラリンピックも期待したいです。


 オリンピックの憲章には,「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を奨励することを目指し」と謳われています。これには,戦争の悲惨を経験してきた民衆の平和への願いが託されているといえるでしょう。国際連合教育科学文化機関憲章(ユネスコ憲章)前文の冒頭には,「戦争は人の心の中で生れるものであるから,人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」とあります。

 人間の生命には無限の可能性があると当職は信じています。人類融合の先進地であるブラジルでの祭典が大成功し,地球民族の連帯が一段と深まりゆくことを,祈っていきたいものです。

 

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投稿者: 弁護士濵門俊也

2016.08.10更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

 

 平成28年8月8日(月)午後3時,天皇陛下が生前退位の意向をにじませるお気持ちを表明されました。あのテレビ東京(皆さんご存知のとおり,この局は「右にならえ」ではなく独自の路線を貫く絶対ブレない放送局です。)を含めた在京のテレビ局全局が天皇陛下のおことばを放送し,まさに「平成の玉音放送」となりました。
 戦後制定された日本国憲法は,天皇の立場を大日本帝国憲法下の「国家元首」「統治権の総攬(そうらん)者」から,「日本国…日本国民統合の象徴」へと大きく変えました。国政への権能はもたず,内閣の助言と承認のもとに国事行為を行う存在となりました。即位した時から象徴天皇であられた天皇陛下が,昨日のおことばにおいても,新しい象徴天皇としての望ましい在り方を模索し続けてこられたことが語られました。天皇陛下は,全身全霊をこめて務めに当たられ,天皇の務めとして何より大切なのは「国民の安寧と幸せを祈ること」と明かされました。皇后陛下と共になされた全国各地への旅も,国民との相互理解や国民と共にある自覚を育てる「天皇の象徴的行為」であったとも述べられています。
 さて,天皇陛下のおことばですが,憲法学上は「天皇のおことばの合憲性」が争われています。そこで,今回はそのことについて説明をしてみます(なお,以下では憲法学の論点を説明しますので,敬称は略します。)。

 

●天皇の行為についての概説


 天皇の行為には,国事行為と私的行為があることについて争いはありません。それ以外に公的行為という概念を認めるか否かについて,主に天皇の国会開会式での「おことば」の合憲性を巡って争われてきました。

1.国事行為

 日本国憲法(以下省略します。)4条1項前段には,「天皇は,この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ(4条1項前段)」と規定され,6条,7条によってその具体的行為が限定列挙されています。これらを国事行為といいます。国事行為の中にはいかにも君主らしい統治権の行使と思われる事項も含まれており,上記の規定しかなければ「君主の権能」を限定して形式化する通常の立憲君主制といえます。しかし同時に「国政に関する権能を有しない(4条1項後段)」との文言が規定されているため,それらが君主としての権能の行使であることが否定されています。この点が通常の立憲君主制との違いとなります。
このように天皇は「内閣の助言と承認」に従い日本国と日本国民を象徴して国事行為を儀礼的に行う機関であり,内閣の「助言と承認」を拒否することはできず,その行為については内閣が「責任を負ふ」のです。国事行為は実質的に内閣の責任で行っているのであり,天皇はその指示に従って形式的儀礼的に行為しているだけの存在というわけです。

2.私的行為

 天皇も人間であるわけですから,私的な領域があることについては異論がありません。日本国憲法がそれについて規定していないのは,いわば当然の前提であるからだと考えられています。

3.公的行為

 日本国憲法に限定列挙された国事行為ではなく,さりとて私的行為とも言い切れない「公人」としての振舞いを公的行為といいます。主に天皇が国会の開会式で「おことば」を述べる行為が,合憲(公的行為肯定説)か違憲(公的行為否定説)かをめぐって争われてきました。「おことば」朗読以外の公的行為としては,外国元首の接待や親書・親電の交換,国内巡幸,国外公式訪問,国体・植樹祭などへの行事参加,園遊会,正月一般参賀などがあります。
現在,当たり前のように行われている「公的行為」ですが,実は憲法解釈上はかなり危うい理屈の上に立っているといえる状況なのです。

 否定説(少数説)の立場からすれば,上記「公的行為」はすべて憲法違反であり,天皇の政治過程への参加ということになります。ただし肯定説(通説)の立場も,天皇の行為を安易に拡大することを容認しているのではなく,内閣の判断(=助言と承認)によるならば認められると構成することで,天皇の行為に事実上の公的な領域が生ずることを認めつつも,その範囲を限定し,かつそれに主権者である国民のコントロールを及ぼすことによって,「国政に関する権能を有しない」という憲法の規定との整合性を図ろうとしているという動機がある点にも注意が必要です。

 

●学説の状況
 
 学説の整理にあたって,「公的行為説」が通説であるということにかんがみ,できるだけ分かりやすく分類してみます(ちなみに,司法試験的には短答式試験で問われ得る論点ですから,一通りは学習します。)。
まず,そもそも公的行為という概念を否定し,天皇のこれらの行為を憲法違反とする解釈があり,これを「公的行為否定説」(A説)とします。つぎに,通説である公的行為説(B説)ですが,これはその理由付けとして,「象徴行為説」(B1説)と「公人行為説」(B2説)とに分かれます。最後に,「公的行為」というような概念を認めない(使わない)点では否定説と同じですが,これら天皇の行為を認める結論は通説と同じという諸説を,便宜上「中間説」(C説)とします。

 

●A説 公的行為否定説

 

 憲法解釈としては非常にすっきりしています。要するに天皇が公人としてできることは,すべて憲法に規定されていることを前提として,どうしてそれ以外の行為を勝手に書き足すんですかという疑問に立っています。また,憲法解釈上だけではなく現実問題としても,そんな勝手なことを認めれば,その範囲が少しずつ拡大していくのではないか,やがてはまたしても戦前のように,天皇(制)は体制側による「国民支配の道具」として機能するようになるのではないかという懸念を有している説です。

 

●B説 公的行為肯定説

 

 しかし,国民的にも式典への皇族出席などが,すでに意識として定着している現状を重視しますと,なかなかA説によることは難しいでしょう。そこで,憲法制定から間もない初期に,「これは内閣の関与を必要とする私的行為である」という「旧私的行為説」(以下「旧説」といいます。)がひねり出され,これが当初の多数説になっていた時期もありました。

 しかし,「内閣の関与が必要で,天皇の私的な判断が許されないものを,もはや『私的行為』とはいえないのではないか」という当然の疑問が生じます。また,憲法外の天皇の行為を無制限に認めてしまいかねないという批判もありました。
そこで「公的行為」という概念を天皇の行為として認めてしまうかわりに,天皇の私的判断は反映されない「公務」と規定し,国事行為と同じく内閣の助言と承認を必要とするという枠をはめる新説が出てきます。

 すなわち,B説の論者は,天皇の行為には,国事行為以外に公的な性格のものが出てくるのはやむを得ないという,ゆるやかな前提に立ちます。その現実を認めたうえで,そういう天皇の公的行動から,天皇個人が私的な判断で行動する余地をなくし,内閣のコントロール下に置く中庸な説であるといえるでしょう。

 また,B説によった場合,「公務」とすることで,そのための予算はすべからく,皇室予算である宮廷費から支出されることとなります。私的行為であるとしますと天皇の私金である内廷費からも支出することが許されてしまい,そうなると監査にかからず,支出について国会がコントロールすることができなくなります。宮廷費なら会計検査の対象になるので,常に国会が使途についてコントロールし,事後審議することが可能になるという点で,旧説に対するB説の優位性があるといえます。

 さて,この公的行為という概念を認める通説であるB説の中でも,その理由づけとして主に二説あります。どちらが多数説かは基本書によってはっきりしないところがあります。

 

●B1説 象徴行為説

 

 まず一つ目の理由づけは,憲法は天皇を「象徴」としているのだから,その「象徴」の行動が多少の公的な性質を有してしまうことはやむを得ない,別の言い方をすれば,天皇の憲法上の地位(象徴)を根拠として公的行為を説明するのが「象徴行為説」です。
 ただしこの説には,憲法が(ひいては国民が)天皇に授権した「象徴」という地位に,その内容を越えた過大な意味を付与している,あるいは公的行為として許される範囲がどこまでか明確に限定できないなどの批判があります。

 

●B2説 公人行為説

 

 そこでもう,すっぱりと「象徴」という規定から切り離して,天皇は「公人」なのだから,その公人が日常で当然に行う社交的,あるいは儀礼的な行為ということでいいではないかというのが「公人行為説」です。
 しかしこの説によりますと,象徴行為説以上に「そもそも公的行為ってなんですか,その範囲はどこまでですか」ということがますます曖昧となって,ほとんど何でもありとなりかねないという弱点があります。

 

●C説 中間説

●C1説 国事行為説

 

 つづいて,天皇には私的行為と国事行為しかないことを前提として合憲性を論じる中間説(C説)があります。まず,「国事行為説」(C1説)を紹介します。たとえば外国元首の接待などは私的な社交儀礼として,国会開会式での「おことば」は7条10号の「儀式を行ふ」に該当する国事行為として認めるというのが「国事行為説」です。
 しかし,この説によった場合,理論的に(文理的な解釈として)無理があるという批判がされています。

 たとえば,憲法学で最大の論点とされてきたのは,国会開会式での「おことば」の合憲性なわけですが,開会式という「儀式を行ふ」のは天皇ではなく,国会の長である衆議院議長(不在の場合は参議院議長)です。天皇は最高裁判所長官などと共に議長に招かれて出席している来賓にすぎません。これを7条10号に含めるのはいかにも無理があります。結局は「行う」に「参加する」を含めてしまえばよいということにしかならず,学者が憲法を解釈する立場として,国家の権限をこのように無限定に拡大解釈するのはいかがなものか,それは他の条項にも影響をおよぼしてしまうという観点からも批判されています。

 ちなみに,「国会を召集する」に含めればよいのではとお考えになられた方もおられるかもしれません。しかし,召集行為は具体的には議員に「国と国民を象徴して」通知状を発する行為までを指しています。すでに召集が終わってしまった段階での「おことば」朗読までそれに含めることは,「儀式を行ふ」に含めるより以上に文理解釈上無理があると思われます。そのため,さすがにわざわざそう主張している憲法学者を見たことはありません。

 

●C2説 準国事行為説

 

 そこでこの文理上の無理を回避するため,これらの公的な行為は,国事行為に密接に関連した付随的な行為であるから認められるという説が唱えられます。すなわち,公的行為や私的行為なのではなく,「国事行為の一環」であると規定するのであり,かかる説を「準国事行為説」といいます。たとえば,外国元首の接待は国事行為の「外国の大使及び公使を接受すること」に付随する行為であり,開会式での「おことば」は,同じく「国会を召集すること」の付随業務であると構成するのです。
 しかし,この説に対しても,どこまでが天皇に許される「国事行為と密接に関連した行為」かその範囲が明確でないという批判があります。

投稿者: 弁護士濵門俊也

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