弁護士ブログ

2016.11.24更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

 

 何と,今日の東京には雪が舞いました。真冬並みの寒気の影響で,東京では平年より40日早く初雪を観測したのです。11月での初雪は1962年(昭和37年)以来,54年ぶりとのことです(当然ながら当職の生まれる前です。)。当職も熊本の田舎を出て以来東京での生活が長くなりましたが,びっくりしました。本日は,午前に電話会議が入っていましたので,遅刻しないよう早めに家を出ました。服装もコートにマフラーとまさに真冬の装いでした。
 幸いなことに少し時間調整で電車が遅れる程度で事務所に到着できましたが,現在もダイヤの乱れがあるようです。
 さらに,驚くべきことに,24日午前11時に東京で積雪が観測されたとの報道に接しました。11月に東京で積雪が観測されるのは史上,初めてとのことです。

 

 「『ありえない』なんて事は ありえない」とは,荒川弘さんの漫画『鋼の錬金術師』に登場する強欲のホムンクルス・グリードの言葉ですが(『鋼の錬金術師』第7巻「ダブリスの獣たち」より),本当に何があるか予想だにしません。
 思えば今年は60年ぶりの丙申(ひのえさる)の年。出来事を数え上げればキリがないほど,今年はこれまで日の目を見なかったことが形となって様々現れてきた年でありました。まずは今夜しっかり無事故で帰宅したいと思います。

 

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投稿者: 弁護士濵門俊也

2016.11.10更新

東京の明治神宮外苑で開かれたイベント「東京デザインウィーク」で11月6日、展示物が燃える火災があり、5歳の男児が死亡、父親ら2人がケガをした。報道によると、展示物は、木製のジャングルジムで、おがくずが絡みつくように装飾されており、電球でおがくずを照らしていたという。

このジャングルジムは、日本工業大学の建築学科の学生らが所属する「新建築デザイン建築会」が出展した。警視庁の調べに対して、制作に関わった大学生は「(ジャングルジムの)内部を照らすために白熱電球を点灯させていた」と話したという。

出火原因は今のところ明らかになっていないが、警視庁は11月7日、白熱電球の熱でおがくずが燃えた可能性があるとみて、業務上過失致死傷容疑で現場検証をおこなった。大学側とイベント主催側は謝罪をおこなったが、法的な責任の所在はどこにあるのだろうか。濵門俊也弁護士に聞いた。

●刑事責任だけでなく民事責任も問題になりえる

「まずは、被害に遭われました方々、とくにわずか5歳の尊き生命を奪われたご遺族の方々に対し、心よりお悔み申し上げます。

報道によりますと、今回の事件は、業務上過失致死傷の被疑事実で現場検証されているようです。刑事責任の側面だけではなく、損害賠償請求という民事責任の側面も問題となりえます。

民事責任も刑事責任も、(1)法的責任を負う主体が負うべき注意義務の内容がどのようなものであるかを明らかにすることが前提となります。

そのうえで、注意義務違反があるというためには、(2)危険な結果の予見可能性があり、かつ危険な結果につき結果回避の可能性があったことが必要となります。

さらに、(3)義務違反と結果との間に相当因果関係があったことが必要となります。

以上を前提に、法的責任を負う主体について、検討してみます。なお、今回の事件の具体的事情がかならずしも明らかでありませんので、あくまでも可能性の話ということを断らせていただきます」

●学生たちの責任は?

「報道から得られる情報が、やや錯綜していますが、今回の作品には白熱球が使用されていたようです。

まず、そもそも学生たちには、可燃性の高いおがくずが電球の発する熱によって出火しないよう注意すべき義務があったといえます。しかし、学生たちは独自の判断で、LED電球から白熱球に変更したようです。白熱球はLED電球よりも周囲が高温になりやすいことがよく知られています。

当初はLED電球を使用することが決まっており、現場の判断で学生が白熱球を使用したとすれば、この熱によって、おがくずを照らせば出火するおそれがあります。おがくずから出火すれば、ジャングルジムは、可燃性の高いおがくずが絡みつくように飾られていたことから、火が容易に燃え広がり、その火がジャングルジムの内外にいる人々らの生命・身体・財産などに被害を生じさせる結果となることは十分に予見可能であったし、容易に回避できたはずです。

したがって、学生たちには注意義務違反が認められるといえます。

そして、学生たちの注意義務違反と被害との間に、相当因果関係が認められれば、学生たちは、民事上は損害賠償責任(民法709条、同710条)を、刑事上は業務上過失致死傷罪(刑法211条前段)を問われえます」

●大学側と主催者の責任は?

「大学側は、学生がLED電球ではなく白熱球を使用していたことを認識していなかったなどとコメントしているようですが、仮にそうであったとしても、大学としては学生たちの行動について指揮監督すべき関係はあったはずです。したがって、管理監督責任を負う場合がありえます。

その場合、大学は、民事上は使用者責任としての損害賠償責任(民法715条1項)を問われえます。他方、刑事上は業務上過失致死傷罪(刑法211条前段)を問われえますが、刑事上の管理監督過失は民事上のそれよりハードルは高いです。

主催者側も、観客の安全を確保すべき義務があると認められる場合もあるでしょう。この場合、民事上は主催者自身の責任としての損害賠償責任(民法709条、同710条)、または大学ないし学生たちに対する指揮監督関係が認められば、使用者責任(民法715条1項)を問われえることとなるでしょう。

ただし、刑事責任としては難しい点が多いです(明石市花火大会歩道橋事故事件参照)。

なお、刑事責任にはありませんが、民事責任においては、損害の公平な分担の見地から、過失相殺が認められています(民法722条2項)。被害者は5歳ということですので、ご本人に事理弁識能力はありませんが、ご両親などの被害者側の過失を考慮することはできます。

もし、主催者側で『事故等の一切の責任は一切負いません』などと告知していた場合でも、一般的には、合意の内容があいまいで、実際に発生した事故については免責の合意なしと認定される場合が多いと思います。場合によっては、公序良俗違反として無効とされることもあるでしょう」

投稿者: 弁護士濵門俊也

2016.11.04更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士濵門俊也(はまかど・としや)です。

 

 昨日は,「文化の日」でしたが,日本国憲法公布70年の佳節でもありました。そして,日本国憲法公布70年の今秋,一冊の本が復刻出版されました。
 タイトルは,『復刻新装版 憲法と君たち』(時事通信社刊)。著者は,著名な憲法学者である佐藤功先生(1915-2006)です。気鋭の憲法学者である木村草太首都大学東京教授(木村先生はようやく教授になられたのですね。この本で知りました。)の詳しい解説が付いています。


 佐藤功先生は,新たな憲法をつくる「憲法問題調査委員会」の補助員や内閣法制局参事官として日本国憲法の制定にかかわった「憲法の生みの親」の1人ともいえる先生です。発刊は60年以上前ですが,「君たちひとりびとりにお話をするつもりでこの本を書きました」とあるように,この本の中で,佐藤功先生は子どもたちに憲法の原理と精神をやさしく,語りかけるように解説しています。

 前半は歴史の読み物のようでもあります。マグナ・カルタ,アメリカの独立宣言,フランス革命,リンカーン…。平和主義,民主主義,人権尊重といった近代憲法の三つの理想が闘いの中で勝ち取られたことを説明しています。
 そして,「生みの親」は日本国憲法の成り立ちについて説いていきます。

 「この今の憲法が…日本が新しい国として生まれかわるために,新しい理想をはっきり定めようとしてつくられたものだということはわすれてはならない」

 「もしもマッカーサー元帥が,こういう憲法をつくれということを命じなかったとしても,二どと戦争をくり返さず,国民の考えに反した政治がおこなわれず,また国民の自由がおさえつけられない,そういう新しい国として生まれかわるというために,今の憲法のような憲法がどうしてもつくられなければならなかったのだ」

 基本的人権,民主主義についてはこれまで日本が世界から後れていて,日本国憲法で追い付いたと説明した後,佐藤功先生の言葉には力がこもります。「だけど,平和だけはちがう。戦争放棄の点だけはちがう。それはほかの国ぐにはまだしていないことなのだ。それを日本がやろうというわけだ」

 佐藤功先生は,終戦直後の停電の中,短い,そして暗いろうそくの下でペーパーを書いたそうです。「それにもかかわらず当時の私は,新しい憲法の精神や原則によって鼓舞され,そして非常にやりがいを感じた…」と後に記しておられます。


●『憲法と君たち』の予見と現在との符合


 佐藤功先生が,『憲法と君たち』を書かれた昭和30年(1955年)は,自由民主党が結成された年です。
 日本国憲法公布から4年後の昭和25年(1950年),朝鮮戦争が勃発。わが国も再軍備の是非が論じられ,結果,警察予備隊が発足しました。昭和27年(1952年)には,日本国憲法施行の年に発行された文部省中等科教材「あたらしい憲法のはなし」の発行が停止になったのです。
 東西冷戦が朝鮮半島で「熱い戦争」となり,冷戦の陣営の対立は厳しさを増し,わが国では改憲を求める声が強まっていました。当時は連合国軍総司令部(GHQ)の「押し付け」でなく自主憲法を制定すべきだとの改憲派と護憲派の緊張関係が高まっていたのです。「自主憲法制定」を党是とする自由民主党もそのような背景のなか結党されました。
 佐藤功先生が,日本国憲法が空洞化してしまうのではないかとの強い危機感をもっておられたことが推測されます。
 上記の状況は,決して過去のものではありません。東西冷戦構造こそなくなりましたが,わが国を取り巻く環境は極めて抜き差しならないものとなっています。戦争のかたちも「テロとの戦い」にシフトし,本来「ランドパワー」の大国が「シーパワー」まで手に入れんとする状況もあります。

 第4章「憲法を守るということ」の記述は,未来を予見しているともいえるものですが,何か現在の状況と不思議な符合がみられるように思います。

 「多数決というやり方も,絶対に正しいやり方だとはいえなくなる」。少数の意見の方が正しいこともある。多数党が,少数党の意見を聴かずに数で押し切るのは,形の上では議会政治だが昔の専制政治と同じだ,として「決をとるまでの議論」の大切さを説きます。
 「憲法を守らなければならないはずの国会や内閣が,かえって憲法をやぶろうとすることがある。事情がかわったということで,憲法がやぶられようとする場あいがある。また,へりくつをつけて,憲法がつくられたときとは別のように憲法が解釈され,むりやりにねじまげて憲法が動かされるということがあるわけだ」
 では誰が憲法を守らせるのか。佐藤功先生は巻末で60年前の子どもたちに「よかったら君たちも声をあげて読んでくれたまえ」と前置きして一つの言葉を残しています。


 「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る」

 

投稿者: 弁護士濵門俊也

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